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unaginippon

【うな太郎】こと芳川充
1963年北海道生まれ。
水産物など食品の貿易、流通に20年間従事。
食品全般における消費者の大きな誤解を解くため執筆、講演活動を行う。
著書;食品の迷信(ポプラ社)
ブログ;うなぎを見れば日本が見える
マスコミ出演、掲載歴;ここから

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食品添加物

「食品の裏側」で60万部のベストセラーを記録した安部司氏が新たな本を出した。

題名は「なにを食べたらいいの?」(新潮社)

安部氏は「食品の裏側」で食品添加物の危険を指摘したのだが、販売部数から考えると食品添加物のみならず食品分野全体の中で最も多く読まれた本となった。

同じ食品分野でベストセラーとなった「食べるな!危険!」でも30万部なので、「食品の裏側」がいかに売れているかがわかる。

いわば、日本人の食品に関する本の代表、食品分野のバイブルと言ってもいいだろう。

ただその内容はというと、僕が再三指摘しているように、
重要な部分で事実誤認があり、強い思い込みによって書かれた偏った内容と言っていい。

皮肉な言い方をすれば、だからこそ不安を感じてる人々のハートに強く訴えるものがあったのだろう。


さて、新著の「なにを食べたらいいの?」

相変わらず食品添加物を批判するスタンスを維持しつつも、前著とは大きくトーンが変わっている

食品添加物の「おかげ」の部分を多く取り上げることにより一定のバランスを保ち、かつ消費者自身への批判がしっかり書かれている。


共感できる部分は、「食品添加物は縁の下の力持ち」と表現し、人々が買い物をする時に選ぶ
「安い」「簡単」「便利」「美しい」「おいしい」を実現できるのは食品添加物のおかげである、とするところ。

さらに、消費者を「意識は高く行動は低い」と表現。

誰もが「無添加がいい」といいつつ、無添加によって値段が高くなったり、日持ちが悪くなったり、色形が悪くなったりすることがわかると、やっぱり添加物入りを買う。

結局提供される食品に対しての批判精神は強いものの、自らは便利さを求めてすすんで添加物がたくさん入った食品を利用しているということ。

前著が食品メーカーがいかに消費者を騙して、危険な食品を提供しているかという主旨だったのと比べると、非常に大きな変化といえる。


ただ、一方食品添加物そのもへの批判も前著と同じように展開している。

最も気になるのが、食品添加物の危険性を指摘する時に
「~~~との指摘も出ている」
「~~~との研究結果がある」
ということが並べられていることだ。

これだけを読むと、いかに恐ろしいものか、という印象を受けるものだ。
しかし、これは意図的にそういった内容だけのものを取り出して書いているにすぎなく、「安全だ」という「指摘」や「研究結果」がはるかに多いのである。

科学者、研究者はそれこそピンからキリまでいて、中にはズサンな実験、著しい矛盾を持つものを発表して平然としている者もいる。
多くの科学者が認めている「知見」としては、食品添加物は完全とは言えないまでも、非常に厳しく毒性が調べられているため、許容数値以下での使用であれば問題ないということだ。

もちらん、現在の科学も決して完全ではないし、少数派が正しい場合もある。
著者が指摘するように、単品では問題なくても複合的に摂取した場合はとどうなるかわからない面はある。

しかしそれをいうなら、天然物も複合的に摂取した場合の影響はより以上にわかっていない
天然物は太古の昔から摂取しているから心配ないというなかれ。
現在摂取している「天然物」は時を追うごとに大幅に品種改良されている。
生育環境による変異のこともよくわかっていない。

ましてやそれらを摂取し続けて100年にどう影響が出るかもわかりようがない。

毒性が調べられている化学物質より、調べられていない天然物のほうが恐ろしいことは多くの科学者の一致するところだ。



また、著者は食品添加物によって、本来甘ったるくて飲めないようなものがおいしく感じてしまう。
しょっぱくてマズイはずのものもおいしくなる、ということを指摘し批判している。
さらに、食品添加物によって
「味覚が壊れて、本来の味の良さがわからない子供が増えている」
「出来合いの食品が増え、親が調理に手を抜くために、親子関係が希薄になる」
などの問題点を指摘している。

確かに、言っていることは正しいと思うが、これは食品添加物のせいではない。
むしろ「おかげ」の恩恵を受けていながら、それを有益な方向に活用していないことが問題なのである。

著者もわかっていることと思うが、日本人の食生活がおかしくなっているのは食品添加物のせいではなく、我がままで楽を求める消費者のせいである


食品添加物は、取らないで済むものは取らないに越したことはない。
しかしまさに人々のニーズに応えることによってその消費量が増えたということは、恩恵の部分が大きいということは言うまでもない。

ただ感情的に批判だけして、自分は被害者のようにしているのではなく、食品添加物の功罪両面をよく知って自らがどうするか冷静に判断することが必要と思う










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テーマ : 生活・暮らしに役立つ情報 - ジャンル : ライフ

地球は寒冷化している

先日の日経に次のような題名の記事が出た。

地球の気候
当面「寒冷化」


内容は、地球の平均気温は1998年をピークに横ばいないしは低下し、2008年の気温は21世紀に入り最も低かった、というもの。

「えっ???」
と思う人も少なくないだろう。

ほとんどのマスコミ・メディアは、地球の温暖化を既成事実化し、

「大変なことになる」
「どうすればいいのだ」
という方向に固まっているからだ。

僕が地球が寒冷化しているかもしれないという情報を得たのは今回が初めてではない。

専門家ではないので、詳細なことはわからないが、現在報道されている地球温暖化は例によって疑わしい面が大きい。

その疑問点は以下のようなものだ。

地球の気温は世界の観測点で決まるが、どこの観測点を置くかによって大きく違う。
  また、都市の気温は上昇しているのは確かなので、そこの観測点の影響を受けやすい。

仮に温暖化しているとしても、それが二酸化炭素排出によるものかもわかっていない。
 太陽の黒点の変動や中期、長期の地球環境の変化のほうが大きい可能性がある。
 現在は小氷河期からの回復期という説も有力。

仮に二酸化炭素排出によって地球が温暖化しているとしても、それが人間にとって良いことなのか 悪いことなのかわかっていない。
 いや、むしろ良いことのほうが多い可能性が高い。地球全体の作物生産高が伸びるし、人々の住め る地域も広がる。
 現に西暦1500年頃の地球環境は今より暖かく、グリーンランドはその名の通り、植物で緑色だった という。


話は変わるが、昨日のテレビで、
「究極エコ」と題して、工場の排熱をエネルギーとして利用する試みを紹介していた。

内容は工場から出る排熱で、ある物質を温めると、それが非常に冷めにくいために、それをタンクで運んで、住居の暖房として使用するというものだった。

番組の中では、「エネルギーの再利用」「画期的新技術の開発」として紹介。

唯一の問題点として、エネルギーを運ぶタンク車が大きいために、スペースの確保が必要なことと、タンク車がエネルギーを取りに行く間は使用できない、ということが挙げられていた。

しかし、これも例によって、最も重要な視点が欠けていた。

大型タンク車を利用することによって、使用されるガソリン(又は軽油)の消費や、タンク車を作るために使われるエネルギーを計算に入れているのかどうか。
さらに熱を送るためのポンプに使用する電気、大型車を走らせることによる道への悪影響などはどうか。

これが番組内では一切触れていなかった。

エコが語られるときは、2面性があるにもかかわらず1面のみが語られることが多い。
これでは真実の姿とは程遠い。


実際に人間が一人、文明的な生活をするだけでも、莫大なエネルギーが使用されている。
本当にエネルギー消費を大きく減らす一番の方法は、自らが車も電気、ガスも使わない生活をすることだ。

そもそも自分の周りの環境もきれいにできないのに地球を守るだのなんだのいうほうがおこがましいのではないだろうか。

環境をよくすることは、人間のためなのに、「地球のため」などといっていることも偽善めいている。
人間のことより、絶滅しそうなシロクマのためというのも違和感がある。

エコを語れば、政府は利権が増え、企業は商売が増え、マスコミは信頼性が上がる。

まじめな気持ちで行っている「エコ活動」が意味のないもの、逆に環境に悪いこと、或いは単に企業を儲けさせるものにならないように、自らよく学んでから行うべきと思う。

テーマ : 毎日の暮らし - ジャンル : ライフ

正直と不正直の境目

まず最初に質問です。

あなたは、うなぎの蒲焼専門店を営んでいます。
最近は長年使い続けた国産原料の値段が高騰しているため、それに見合うように販売価格を値上げしました。
そうしたとたん、客足がばったりと途絶えてしまいました。
そこで、原料を台湾産に切り替えて、従来の安い価格に戻しました。
しかし、店に「台湾産原料を使用」と貼りだしたせいか、客足は一向に戻りません。
このままでは廃業せざるを得ません。
続けるためには、台湾産を国産と偽って営業するしかありません。
さて、あなたはどうしますか?



「ウソをついてはいけない」
「偽装してはいけない」
は、人間誰もが知っている倫理感だ。

しかし、現実には多くの人がそれに背いている。
その理由の一つは、教育が机上のものになって、現実の問題に則して考えていないからではないだろうか。

この問題のような現実に直面した場合、自分だったらどうするのか、或いはどうするべきかを考えるのは非常に重要なことと思う。

こういったことを議論することは、自分を見つめなおす良い機会と同時に、相手の考え方や性格がわかることになるだろう。
もちろん口では何でも言えるので、ここで「自分は絶対偽装しない!」と言いきれる人が素晴らしいというわけではない。
この議論の場で、本音を語れる人なのか、自分を真摯に見つめ直せる人なのか、ということも同時に問うことができる。

設定をさらに広げると、より深みがでるだろう。

例えば・・・・

●共働きなので、自分が廃業しても何とかやっていけそう
●うなぎ専門店は、先祖代々受け継いできた店であった。
●偽装したら五分五分の確率で見つかるかもしれない
●倒産したら、銀行と取引先に大きな債務不履行が起こり連鎖倒産もある
まわりも偽装しているし、自分が偽装しても100%見つかりそうにない
再就職先もなさそうなので、廃業したら子供を含め一家が路頭に迷う


人の倫理を語るのであれば、ここまで生々しい設定がないと意味がないのではないか。


僕はこの思考を通じて、状況によっては誰もが偽装を犯しうるということが見えてくると思う。
そして、現実は理想とは裏腹で矛盾だらけ。ごく身近に騙そうとする人がたくさんいることも。

だから偽装はしょうがないというわけではない。

だから、このような根の深い偽装問題を解決するには、どうすればいいかを改めて考えるべきと思う。
明確な答えがないのが現実社会だ。

日本の学校では○×式で答えのはっきりしている問題ばかりをやるために、答えのない問題には著しく思考能力が低下するのではないか。

用意された答えに行きつくのが重要なのではなく、自分で思考し、迷い、悩むことを通じて自己に向き合うことが必要だ。


ところで、
僕の著書「食品の迷信」が今年の大阪産業大学の問題に使用された。

内容は食品偽装の項の文章を引用して、
その一節「消費者が、よいものを自分で見分けられるようにならないと、産地偽装はなくならないのでは」に対する見解を述べさせることと、偽装を防ぐ方法についての意見を述べさせることであった。

非常に良い問題だ。(^^)

なぜ偽装を行うか、
どうすれば偽装をなくせるか、
どうすればだまされないか、

こういった問題は生活に密接に関係していることなので、試験対策などではなく^^誰もが深く考えてみるべきではないだろうか。


テーマ : 生き方 - ジャンル : ライフ

うなぎ販売の現況

今回は久しぶりにうなぎ業界の現況。

結論からいうと、相も変わらず国産信仰が強いことに変化はない。
しかし、その国産信仰の強さが、さらなる国産の高値を呼んだため、さすがに庶民の手の届かない価格帯になってしまった影響が出てきている。

国産蒲焼の140gサイズで、相場は¥5500/kg
スーパーの売値で一尾\1280~\1480
土用丑のころならともかく、この時期に、しかも不況がなだれのように押し寄せている中にあって、
売れる価格帯ではない。

一方、中国産蒲焼に関して言うと、賞味期限の近いものが投げ売りされている状況で相場自体あってなきがごとし。
大量に売られているのはサイズに関わらず価格が\500~¥800/kgといった過去にあり得ないほど安いもの。

人々の中国産に対する抵抗感は変わっていないが、さすがにこの安さと不況のせいか、ビックリ価格であれば売れている。
例えば一尾220gサイズで、スーパーで一尾\280で販売したら好調に売れている模様。
そりゃそうだろう。
220gの蒲焼というのは3人で食べられるぐらいボリュームのある大きさだ。

これが中国産の通常の価格帯(220gでいえば\580)だと、なかなか売れない・・・。


現在、国内の加工業者を悩ませているのが台湾原料、国内加工物
国産原料が足りないし、良い原料も集められないから、台湾産にシフトせざるを得ないために、作ったのだが、これがサッパリ売れない。

原料が台湾というだけで、評価が純粋な国産とは雲泥の差が付き、全くコストが合わない状況になっている。
もはや中国産蒲焼と変わらない評価などという声まで聞かれる始末!

事実でいえば、冬場の国産原料は品質が悪いので、台湾物(中国含め)の品質のほうが明らかに良いのだ。

国産信仰もここまで来ると狂信的といっていい。

さすがに国内加工業者も、国産原料だけではやっていけないので、台湾と足並みをそろえ、
「台湾産でも十分に安全でおいしい」とアピールし始めているが、
僕からいわせると、「何をいまさら!」

彼らは今まで、「国産だから安全でおいしい」と宣伝して儲けてきたのに、自分たちが外国産を販売しなくてはならなくなったら、急に反対のことを言いだした。

彼らは日本人を狂信的な国産信仰者にした責任の一端があるわけだし、既にそうなってしまったものを変えさせるのは不可能に近い。


また、うなぎ業界で大きく懸念されるのが、町のうなぎ蒲焼屋さんの廃業が続出していること。
国産原料が急騰したため、販売価格を上げたら、客が激減した。
かといって、外国産原料を使うと抵抗が大きすぎる。

客は原料が外国産と知っただけで、来ない。
1回店に入ってもそれを知ると、
「なんだ!外国産か!とんえもない店だ!」と怒って帰る。

だから蒲焼屋さんは八方塞がりで継続するすべがなくなってきた。

国産志向を背景に営業してきたうなぎ蒲焼屋さんが、今では、過度の国産信仰によって窮地に陥っているという皮肉な現象になっている。


確かに正しい表記が重要であるが、今の日本では正しい表記をしたとたん、売れなくなる。
正直物がバカを見る。
外国産原料を国産と偽って出している店だけが生き残る可能性だってあるのだ。

先ほどの、台湾原料、国内加工品も、以前はその多くを「国産」で販売していたのだろう。
「国産」はここ数年、取り合いだった。
それを原料にたった一言「台湾」と記載したとたん、ピタリと売れなくなるのだ。

僕も長年、この傾向を見てきて慣れてはいるものの、
もはやこっけいとしか言いようがない。

自分の信念を疑い、客観的事実に基づいて考え、行動できる者だけが合理的な正しい判断ができるのではないだろうか。





テーマ : 食べ物 - ジャンル : ライフ

大衆は間違っている

それでは、過去2回の記事の完結編ということで、現在日本で起こっている、真実と世論の理解の大きなズレについて食品を題材に僕なりの理解を語りたい。

人間はもともと、最初に刷り込まれた情報を信じて行動する。
一度信じたら、自分の考えを補強する情報を集め、反対の(不愉快な)意見は無視する。
回りで起こるあらゆる事象も自分の考えと合致するように都合良く解釈する。

日本は特に同質の社会なうえ、情緒に流されやすいので余計だ。

「中国産食品は危険」
「国産は安全でおいしい」
「養殖物は危険」
「農薬、添加物は危険」
「無農薬野菜や無添加食品が安全でおいしい」
「天然が安全でおいしい」

これらの情報がメディアを通じて、一斉横並びに報じられると、誰もが信じる。
人間は権威に弱いので、活字になったものやテレビで報じられたものを「真実」と受け止める。
それらの情報はいつのまにか、「十分に吟味された真実だけが出ている」と信じ込んでいる。

一度信じたら最後、それが真実なのかどうかを検証することはない。
繰り返し報道されるとそれが確信⇒信念へと変わる。

「食品の裏側」は発売後3年以上経過した今でも圧倒的に売れ続ける、ベストセラーでロングセラーだ。
販売部数、売れ方からすると「日本人の食品のバイブル」といっていい。
内容は「世界的な科学的知見」を無視して、危険を煽ることを目的化としたようなもの。
論理が幼稚といっていい。

しかし、この本は大衆が思っていた不安に見事に答えてくれた。
「添加物は危険」と信じている或いは疑っている人にとって、その思いを補強してくれるという意味で、タイミングと内容が見事に合致していた。

食品に対して大衆が誤解するようになったのは、メディアのせいとばかりは言えない。

もともと人間は自分を実際よりも高く評価する生き物だ。
実際に持っている能力や判断力はあまり高くないのに、自分はそれを高いレベルで兼ね備えていると思いこむ。

特に日本人は排他的なので、自分に近いものや自国のものが一番素晴らしいと思いこみやすい。
そう思いたいからそう思うのだ。

だからどれほど、日本の食品で事故や不祥事が起きても、
決して日本の食品への不安にはならない。
「国産は安全」という信念があるから。

誰でも自分の考えや価値観が認められるとうれしいし居心地がいい。
だから、それを覆すような情報は不愉快だし、関わり合うのもめんどくさい。
信じ続けたいから信じる。

これが、人間共通の、そして特に日本人に顕著な思考のメカニズムだろう。


次に食品偽装について。

食品偽装が起こるたびに、批判が起こるのは当然としても、その批判内容が的外れなことが多い。

食品偽装を批判する誰もが、人間の倫理を説き、自分には到底理解できない行動だとする。

しかし、人間は誰しも状況に応じてごまかしもすればウソもつく
学校の教科書的な倫理はある種の呪文でしかないのが実態だ。

それは「日本人が最も倫理的であると信じる日本人」が、食品のみならずあらゆる業界で偽装を行っている実態からも裏付けられる。

僕の経験からいうと、最も他人に倫理を説いて厳しく批判する人間ほど、本人の行動はいいかげんなものだ。
マスコミ関係者や教師に耳を疑うような不祥事が多いことも決して無関係ではないだろう。

これは、自分というものをあまりに高く評価しているがために、自分がわかっていないからだ。
だから自分がある状況化でいかに非倫理的な行動を起こすかわかっていない。

そして、自分に言い訳をするのが得意だから、非倫理的行動をとった自分に
「たまたま魔がさしただけ」
「自分をこうさせた回りが悪い」
として、忘れようとして忘れる。

決して偽装を正当化しないが、人間は弱い動物であり誰もが起こしうること、として考えなくては何の解決にもならないだろう。
消費者の立場からいうと、性善説では騙されるだけ。

特に人を信じやすい日本人は騙されやすい。
本音と建前に大きな差があるから誤解も大きい。


以上、
”最初に刷り込まれた情報に縛られて行動する”
”ほとんどの人間は倫理的であると勘違いしている”
の2点を取り上げた。

これらは客観的に見れば不合理なことで損な行動をすることになるが、これらは大多数の人間の性質なので、恥ずべきことではない。

まず真実はどこに見極めなくては、正しい結論に至るはずがない。

そのことをよく認識して、考えや行動を見つめなおすということが、重要なのではないか。

自分のために。



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